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TOP &GROWアカデミー コラム 「お前の記憶違いだ」と言われていませんか? 人事評価に潜む「ガスライティング」の正体と対策

「お前の記憶違いだ」と言われていませんか? 人事評価に潜む「ガスライティング」の正体と対策

2025.11.27

「先期の面談で、確かにこう言われたはずなのに……」 「達成したはずの数字が、なぜか『なかったこと』にされている」 「上司と話していると、自分の記憶がおかしいのか、自分が無能なのか分からなくなってくる」

もし、人事評価の季節になるたびにこのような感覚に陥り、メンタル不調を訴える社員が増えているとしたら、それは単なるコミュニケーション不足や指導の厳しさではありません。組織の中に「ガスライティング」という深刻な心理的虐待が潜んでいる可能性があります。

「ガスライティング(Gaslighting)」とは、被害者に嘘の情報や誤った事実を提示し続けることで、被害者自身に「自分の記憶や正気、判断力が狂っているのではないか」と疑わせ、心理的に支配する行為を指します。

本来、社員の成長と組織の目標達成を確認し合うはずの「人事評価」の場が、実はこのガスライティングが最も起きやすく、かつ発覚しにくい密室であることをご存知でしょうか。

この記事では、人事担当者や経営層、そして部下を持つ管理職の方々に向けて、人事評価におけるガスライティングの実態と具体的な兆候、そして組織を守るための防止策について解説します。

なぜ「人事評価」の場でガスライティングが起きるのか?

そもそもガスライティングは、DV(ドメスティック・バイオレンス)やモラルハラスメントの文脈で語られることが多い心理用語です。しかし近年、職場(ワークプレイス)におけるガスライティングが急速に注目を集めています。

なぜ、職場の中でも特に「人事評価」の場面が温床となりやすいのでしょうか。そこには構造的な3つの理由があります。

「密室」という不可視性

人事評価面談は、原則として上司と部下の1対1で行われます。 「そこで何が話されたか」「どのような口調で言われたか」を知る第三者は存在しません。この閉鎖性が、加害者にとっては好都合な環境となります。証人がいないため、「言った・言わない」の水掛け論に持ち込みやすく、事実を歪曲しても発覚しにくいのです。

圧倒的な「権力勾配」の正当化

職場にはそもそも上司と部下というヒエラルキーが存在しますが、評価面談はその権力差が最も明確になる瞬間です。 「評価する側」と「評価される側」という構造上、上司の言葉は「指導」や「フィードバック」という正当なラベルを貼られやすくなります。部下が違和感を覚えて反論しても、「それは君の認識が甘い」「素直さがない」という一言で封殺されやすく、支配関係が強化されやすい土壌があります。

評価基準の「曖昧さ」

営業職のような完全歩合制でない限り、多くの日本企業の評価基準には定性的な要素(意欲、協調性、プロセスなど)が含まれます。 この「解釈の余地」こそが、ガスライティングの隠れ蓑になります。「数字は出ているが、君のやり方は周囲を不快にさせている(と上司が主張する)」といった、客観的証拠のない主観的な攻撃が可能になるからです。

これって該当する? 評価面談での具体的な手口と兆候

では、実際にどのような言動がガスライティングに該当するのでしょうか。 単なる「厳しい上司」との違いは、「事実を捻じ曲げて、相手の自信を喪失させようとする意図(または無意識の作用)」があるかどうかです。以下に代表的な3つのパターンと具体的なセリフ例を挙げます。

パターン1:事実の否定と書き換え(Reality Denying)

最も典型的な手口です。過去に起きた出来事や合意事項を真っ向から否定し、部下の記憶を混乱させます。

目標設定のちゃぶ台返し

部下:「期初にAという目標で合意しましたよね? それを達成しました」

上司:「いや、そんな話はしていない。私が言ったのはBの達成だ。君は勝手な解釈で無駄な仕事をしたんだ」

指示の隠滅

部下:「部長の指示通りに資料を作成しましたが……」

上司:「君は幻聴でも聞いたのか? 私はそんな指示は出していない。どうして確認しなかったんだ?」

議事録などの確たる証拠がない限り、部下は「自分の聞き間違いだったのか?」と思い込まされてしまいます。

パターン2:能力の過小評価と些末化(Trivializing)

部下の成果や感情を「大したことではない」「過剰反応だ」と矮小化し、自尊心を削いでいきます。

成果の無効化

「今回の契約獲得? あれは君の実力じゃないよ。たまたま景気が良かったからだ。誰が担当しても取れていた」

「数字は達成しているけど、そんなことは当たり前だ。それより、あの時のメールの文面が気に入らない」

感情の否定

「そんなことで落ち込むなんて、君は精神的に未熟すぎる」

「冗談も通じないのか。君は感受性がおかしいよ」

成果を認めてもらえないどころか、人格的な未熟さを指摘され続けることで、部下は「自分は無能だ」という自己認識を植え付けられます。

パターン3:孤立化工作(Isolating)

被害者が周囲に助けを求められないよう、架空の「第三者の声」を利用して孤立させます。

架空の悪評

「君のためを思って言うけど、他のメンバーも君の態度には辟易しているよ」

「人事部からも、君の評価について懸念の声が上がっているんだ」

実際には誰もそんなことは言っていないにもかかわらず、このような情報を吹き込まれると、部下は同僚全員が敵に見えてしまい、誰にも相談できなくなります。これは加害者への依存度を高める非常に悪質な手口です。

ガスライティングが組織にもたらす甚大な損失

「多少厳しい上司の方が部下は育つ」

もし経営層や人事担当者がそのような認識でガスライティングを黙認しているとしたら、それは極めて危険な賭けです。ガスライティングは個人の問題にとどまらず、組織全体を腐敗させる毒となります。

心理的安全性の完全な崩壊

Googleが提唱して有名になった「心理的安全性」ですが、ガスライティングはその対極にある概念です。 「何を言っても否定される」「事実は関係なく上司の気分で評価が決まる」という環境では、学習性無力感(何をしても無駄だという諦め)が蔓延します。新しい提案や自発的な行動は一切なくなり、組織のイノベーションは完全に停止します。

ハイパフォーマーの流出と組織の弱体化

ガスライティングのターゲットになりやすいのは、実は「無能な社員」ではなく、「優秀で、責任感が強く、上司の脅威になりうる社員」であるケースが少なくありません。 自己愛の強い上司(ナルシシスト傾向のある上司)は、自分より目立つ部下や、自分の意のままにならない部下をターゲットにします。結果として、優秀な人材から順にメンタルを病んで休職するか、理不尽な環境に見切りをつけて退職していきます。残るのは、上司の顔色を伺うだけのイエスマンばかりとなり、組織力は著しく低下します。

コンプライアンスリスクとブランド毀損

ガスライティングは、広義のパワーハラスメントに該当します。 被害者が退職後に訴訟を起こした場合、企業側が「安全配慮義務違反」を問われる可能性は十分にあります。また、SNS時代において「あの会社は評価制度が腐っている」という口コミは瞬く間に広がり、採用活動にも致命的なダメージを与えます。

人事・組織ができる防止策:システムとカルチャーの改革

ガスライティングは、加害者個人の性格だけでなく、それを許してしまう「組織の構造」に問題があります。人事部主導で実行すべき具体的な対策を提案します。

評価プロセスの「透明化・可視化」

密室性を打破することが最大の抑止力となります。

1on1・評価面談のログ徹底

「言った・言わない」を防ぐために、面談の記録を残すことを義務付けます。重要な評価面談では、上司だけでなく部下も合意の上で録音を許可する、あるいはクラウド型の人事評価システムを用いて、面談中に双方がコメントを入力し、履歴を改ざんできない状態で保存する運用が有効です。

定量的指標(OKR/KPI)の適正運用

可能な限り、解釈の余地が入らない定量的な目標設定を行います。定性評価を行う場合でも、「どのような行動がA評価なのか」というコンピテンシー基準(行動特性)を言語化し、上司の「お気持ち評価」が入る余地を減らします。

評価権限の「分散」

一人の上司が生殺与奪の権を握る構造を変えます。

多面評価(360度評価)の導入

上司からの一方向だけでなく、同僚や部下からの評価を取り入れます。ガスライティングを行う上司は、上層部には愛想が良く、特定の部下に対してのみ攻撃的であるケース(「カメレオン上司」)が多いため、多面評価は彼らの化けの皮を剥ぐのに有効です。

スキップレベルミーティングの実施

人事担当者や、直属上司のさらに上の上役(部長や役員)が、定期的に部下と直接話す機会を設けます。「上司を通さずに相談できるルート」があるだけで、心理的な閉塞感は大きく緩和されます。

管理職教育と「異常値」のモニタリング

ハラスメント研修のアップデート

従来の「大声で怒鳴る」「暴力を振るう」といった分かりやすいパワハラだけでなく、「無視する」「事実を歪曲する」「ため息をつく」といった、静かなる虐待(モラルハラスメント、ガスライティング)についても管理職研修で取り扱います。

データによる早期発見

特定の管理職の部署だけ「離職率が異常に高い」「休職者が相次いでいる」「評価の分布が極端に偏っている(特定の人だけずっと最低評価など)」といった兆候がないか、人事がデータをモニタリングします。これらは組織からのSOSサインです。

もし、あなたが被害に遭っていると感じたら

最後に、この記事を読んでいる方の中で、現在進行形で苦しんでいる方へのアドバイスを記します。

もし、上司との面談後に「自分がおかしいのかもしれない」と混乱したり、激しい頭痛や吐き気がしたりするといった症状があるなら、まずは「自分を疑うこと」を止めてください。

ガスライティングの恐ろしさは、被害者が加害者の視点を取り入れて自分自身を攻撃し始めてしまうことにあります。「認識のズレ」は、あなたの記憶力の問題ではなく、意図的な操作かもしれません。

全てを記録する

今日から、日記やメモ、自分宛てのメールで構いません。「いつ、どこで、誰に、何を言われたか」を詳細に記録してください。 「〇月〇日、会議室Aにて。△△課長に『先週の指示は嘘だ』と言われた。先週の指示内容は××だった(当時のメモあり)」 この記録は、あなたの記憶が正しいことを証明するアンカー(錨)となり、いざという時に人事や専門家に相談する際の強力な武器になります。

物理的・心理的な距離を取る

二人きりでの会話を極力避け、メールやチャットなど、証拠が残るテキストコミュニケーションに切り替えるよう努めてください。それが難しい場合は、やり取りを必要最低限の業務連絡に絞り、相手の「人格攻撃」や「謎の説教」には反応せず、事務的に受け流す「グレーロック法(石のように無反応になる)」も有効な防衛策の一つです。

専門部署へ相談する

一人で戦おうとしないでください。記録を持って、社内のコンプライアンス窓口、人事部、あるいは労働基準監督署や弁護士などの外部機関に相談してください。産業医との面談で、精神的な苦痛を訴えることも重要です。

公正な評価こそが企業の生命線

ガスライティングは、個人の人間関係のこじれに見えますが、その本質は「組織のガバナンス欠如」です。

密室での独善的な評価を許容している企業文化そのものが、ガスライティングという怪物を育てています。 公正で透明性の高い評価制度を構築することは、社員を守るだけでなく、企業のコンプライアンスを守り、持続的な成長を支えるための必須条件です。

「うちは大丈夫だろうか?」 そう感じた人事担当者の方は、まずは評価プロセスの透明性を点検し、社員の小さなSOSに耳を傾けることから始めてみてください。その一歩が、組織の健全化への大きな前進となるはずです。

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